ブルーの倉庫

玲奈

「……うちら、部活の合宿に来たんやっけ?」

日曜の午前10時。凪乃宮の駅前コンビニに集まった私たちは、お互いの格好を見て苦笑いした。

私は中学時代から着古している、膝の抜けたジャージ。エリサは派手な色のスウェット。亜美は「汚れてもいい服がない!」と半泣きで選んだらしい、絶妙にキャラの濃い古着のTシャツ。

唯一、瑠奈だけがいつも通りのパーカーで、じっと波打つ海の方を見つめている。

「行くよ」

私の号令に、みんなが小さく頷く。

昨日の土曜日、タマキ先輩に言われた言葉が、まだ耳の奥で鳴っている。

『明日、店の手伝いに来い。一人でも逃げたら、話はなしや』

アイドルになりたい。歌いたい。踊りたい。

その願いへの第一歩が、坂の下にある食堂の長靴だなんて、誰が想像しただろう。

坂を下りきると、潮の匂いに混ざって、食欲をそそる醤油の焦げた匂いが漂ってきた。

日曜日の「凪乃宮食堂」――名物定食の名前から、地元では通称「しおさい」と呼ばれているその店は、私たちが昨日見たのとは、まったく別の顔をしていた。

「ぼーっとすんな! そこ、長靴履け! エプロンしろ!」

店に足を踏み入れた瞬間、タマキ先輩の怒号に近い指示が飛んできた。

カウンターにはすでに満席の客。厨房からはパチパチと、耳元で弾けるような威勢のいい油の音。

「はいっ!」

私たちは慌てて、油と石鹸の匂いが染み付いたエプロンを頭から被った。

そこからの4時間は、正直、記憶が途切れ途切れだ。

「玲奈! 3番テーブル下げて! 次、5番さんに水!」

「エリサ、そのおっちゃんらの注文聞いてこい!」

タマキ先輩の指示は容赦ない。私はひたすら、客の食べ残しが乗った皿を片付け、布巾でテーブルを拭き続けた。手はすぐに醤油と油でベタつき、指先には魚の匂いが染み付いていく。

厨房では、亜美が山のようなキャベツと格闘していた。千切りが太すぎて、板前の源さんに無言で包丁を奪われ、今は真っ赤な顔をして盛り付けの皿を並べている。

一方でエリサは、持ち前のコミュ力を発揮していた。「お兄さん、男前やからサービスやで!」なんて言いながら常連の漁師さんたちを笑わせ、ホールの回転を強引に上げている。

そして瑠奈は、11時の開店から15時の閉店まで、ほとんど持ち場を離れず、洗い場に立ち続けていた。冷たい水に指をかじかませながら、山のような皿を、まるで精密機械のように、静かに、確実に洗い上げていく。その背中には、誰も寄せ付けないような圧倒的な集中力が漂っていた。

15時。ようやく入り口の暖簾(のれん)が下げられ、店内に静寂が戻った。

「……もう、1ミリも動けへん……」

小上がりの座敷に、4人並んで抜け殻のように座り込む。足は棒のようだし、全身から「しおさい」の匂いがする。アイドルなんて言葉、今は1ミリも頭になかった。

その時だ。

厨房から、源さんが無言でトレイを運んできた。

ガタ、とテーブルに置かれたのは、4つのどんぶり。

「あ……」

亜美が小さく声を漏らした。

目の前に置かれたのは、昨日彼女が夢中で食べていた、あの唐揚げ。でも、昨日より明らかに量が多い。

瑠奈の前には、昨日彼女がじっと見つめていた煮卵が、贅沢に二つも乗った中華そば。

そして私とエリサの前には、鮮度抜群の刺身がどんぶりからはみ出すほど乗った、特製漬け丼。

源さんは何も言わない。ただ、私たちの顔を順番に見て、一度だけ小さく頷くと、すぐに厨房へ戻っていった。昨日、私たちが何に夢中になっていたか、全部お見通しだったみたいだ。

そこへタマキ先輩が、ビールジョッキを4つ、テーブルに置いた。

「……これ、飲み。うちの特製や」

先輩特製の、やたら強炭酸のオリジナルドリンク。

一口飲むと、弾けるような強烈な刺激のあとに、柑橘っぽい香りとスパイス、それから絶妙な甘みが追いかけてくる。

「……っ! 喉、焼けるけど……うまい、これ」

疲れ切った体に、魔法みたいにエネルギーが染み渡っていく。

私たちは無言で、どんぶりをかき込んだ。

学校もクラスも同じ。何度も一緒に過ごしてきたはずの4人なのに、今、同じテーブルで無言で食事をしているこの時間は、今までのどんな放課後とも違っていた。

食後の片付けを終えると、タマキ先輩は顎でクイッと裏口を指した。

「ついてこい」

その顔は相変わらずぶっきらぼうなのに、どこか少しだけ、昨日よりやわらかく見えた。

勝手口を出て少し歩く。潮風にさらされて錆びついた、青いトタン壁の大きな倉庫。

先輩はポケットから、使い古された青いキーホルダーのついた鍵を取り出すと、無造作に私へ放り投げてきた。

「明日から、ここ使え。掃除は自分らでやれよ」

受け取った鍵は、少しだけ熱を持っていた。

タマキ先輩はそのまま、振り返りもせず店のほうへ戻っていく。

その後ろ姿が、どんな言葉よりも重く、私たちの覚悟を問いかけているようだった。

ガリガリと音を立てて、重い引き戸を開ける。

隙間から差し込む西日が、埃の舞う広い空間をオレンジ色に照らした。

カビ臭くて、少しだけ潮の匂いがする、がらんとした秘密基地。

「……ここが、うちらのステージ?」

エリサが呟く。

私は油と魚の匂いが染み付いた自分の手を見つめ、それから、手の中の鍵を強く握りしめた。

「そうだよ。ここから、始まるんだ」

その日の夕焼けは、今まで見たどんな景色よりも、鮮やかに見えた。

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